高原に家が建つまで
2006-07-18T19:30:28+09:00
fujiyama67
富士山西麓、標高700mの高原に家が建つまでの記録と、家づくりで考えた事いろいろ
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引っ越してから今までの事 床塗り&壁塗り編
http://fujiyama67.exblog.jp/2834244/
2006-07-18T15:13:00+09:00
2006-07-18T19:30:28+09:00
2006-07-18T15:13:32+09:00
fujiyama67
引っ越してから
前回の記事にも書いたが、新居に引っ越してきた時点ではアトリエ部分は未完成の状態だった。
どれくらい未完成かと言うと、壁、床、天井が石膏ボードや構造合板などの下地材むき出しになっている状態、つまり仕上の塗装工事を一切していない状態、であった。
通常の家作りは、基礎屋さんが家の土台となる文字通り基礎部分を作り、その上に大工さんが骨格、屋根、壁、床、天井からなる家の本体を作る。その本体に水道屋さんが上下水などの水まわりを施行し、電気屋さんが配線やコンセントや照明器具などを取付け、サッシ屋さんが窓サッシをはめ、建具屋さんがドアやその他の建具を取り付ける。そして、最後に家の外壁と内壁を左官屋さんや塗装屋さんが仕上げて家は完成する(実際にはこれらの工事がほぼ同時進行的に行われる)。
家づくりは、大工さんを中心とした各分野の専門家たちからなる混合チームプレイなのだ。
で、その混合チームの監督が建築家であり現場監督である。
僕たちは、当初から「自分たちに出来るところは極力セルフビルドする」というスタンスで建築家さんにプランをお願いしていた。もちろん「少しでも安く作りたい」というのが主な理由なのだが、それと同時に「なるべく自分たちも家づくりに参加したい」という想いもあったのだ。と言っても、素人の僕たちに出来ることなどたかが知れている。相談の結果「外壁や内壁を塗るくらいなら出来るのでは」ということになった。実は、旧アトリエも自ら壁を塗ってリノベーションしたのだ。僕たちには壁塗りに関してちょっとした自信があった。だから、新居の壁塗りも「ぜひ僕たちにやらせて下さい」と申し出た。実際、塗装屋さんの日当は比較的割高なので、これをセルフビルドすれば全体の出費をかなり押さえることが出来るのだ。
ここで一つ。
外壁、内壁の仕上には様々な施工方がある。外壁はどのような素材で壁を作るかによって仕上方も変わってくる。古くは土壁や漆喰などの左官仕上げ。一昔前の住宅に多いのがモルタル吹き付け。あとコンクリート造りの住宅では憧れの打ちっぱなし仕上げが有名だし、全面タイル張りなんてのも洒落ている。最近の外壁材の主流であるサイディングには塗装仕上げ、またガルバリュウムなどの金属系サイディングには無塗装の張りっぱなしが増えているとか。
内壁は、個人住宅では一昔前までは壁紙というのが最も一般的な仕上方だったと思うが、最近ではシックハウスなどへの意識の高まりからか土壁・漆喰壁・珪藻土壁などの左官仕上げが見直され人気があるらしい。
我家の場合は、外壁は昔ながらの杉板の南京下見張り。木張りの家は永遠の憧れだ。実は、木を外壁に使うのは住宅の密集する都会では防火基準上まず不可能らしい。人里離れた田舎に建つ家の数少ない特権の一つだと思う。折角の木張りの外観なのだから米軍ハウス風にペンキ塗装仕上げを希望したが、建築家さんのアドバイスによりオイル塗装仕上げにすることにした。ペンキより家の湿度調節効果が高く、家が長もちするらしい。しかも、施工も楽なのだとか。
内壁は、安っぽい壁紙だけは絶対に避けたいと思っていたので、外国の家風に塗装仕上げにすることにした。居住スペースはシックハウス対策から珪藻土配合の塗料を、アトリエはなるべく健康を害さないタイプの塗料を選んだ。
ところで、同じ壁紙でも、欧米では無地の壁紙を貼って、その上から塗装するのが一般的な仕上げ方らしい。壁が汚れてきたら自分たちで何度でも塗り直すそうな。これは経済的にも優れているので、日本でも一般化される日が近いのでは・・・
でも、欧米の家づくりは基本的にセルフビルド精神が当たり前だそうだから、忙しい日本人にはなかなか受け入れられない文化なのかも知れない。
さて、外壁塗装は引越し前に無事終了していた(この件は後日改めて書きます。壁塗りを手伝って下さったみなさん、本当にありがとうございました)。
しかし、この外壁塗の経験から、内壁を全部自分たちで塗るのは時間的にも体力的にも、また技術的にも絶対に無理だろうと判断した。そこで急遽予定を変更、居住スペースはプロの塗装屋さんにお任せし、アトリエだけを自分たちで塗装することにした。
あ、でも床は別。床に関しては居住スペースも自分達で塗ることにした。我家は床材に無垢のバーチ(しかも敢えて無塗装のモノ)を張ってもらったので、何らかの塗装が必要だった。居住スペースの床は引越し前に半分、引越し後に残った半分を塗ることになった。と言うのも、引っ越し荷物を置いてしまうと床が塗れなくなる。とりあえず一旦荷物を置いておくスペース分だけはなんとしても引越し前に塗っておかなければならなかったのだ。塗料が乾く時間を計算し、引っ越のぎりぎり2日前になんとか予定分を塗り終えることが出来た。今回、我家の床には建築家さんの薦めでドイツの健康塗料メーカー・リボスの『アルドボス』という無色のオイルを奢った。実はこのオイル、プロに施工をお願いすると結構高価なモノになるのだが、セルフビルドすれば塗料代の実費でだけ済む。僕たちのように少ない予算でもどうにか手に入れることが出来た。幸いこのオイルは無色だし、オイル系塗料の長所で木に馴染みやすく比較的簡単にムラ無く塗ることが出来た。
引っ越してから最初の数日間は残りの床塗りに没頭した。最初は艶の無かった無垢の木に滑らかな光沢が出てくるのは実に気持ちが良い。床塗は容易さの割に満足度の高い作業だと思う。お薦めです。
床塗も無事終わり、次はいよいよアトリエの壁塗り作業だ。段取りは次の通り。
まずは下地づくりから。石膏ボードのV目地(ボードとボードの繋ぎ目のこと)に専用のファイバーテープを貼る。次に目地埋め用のパテで先ほど貼ったファイバーテープの上からV目地とネジ穴を埋める。パテは一度塗では痩せるから最低でも2回は塗れとのこと。素人の僕は結局3回塗りをした。部屋の角や窓の縁などのコーナー部分にはコーナー用のジョイントパーツを貼って、こちらも丹念にパテで埋める。埋めるというよりはパテを盛って隠すという感じ。パテを盛ったら、今度はそのパテを平面が出るようにヤスる。もうただひたすらヤスる。この作業が実に辛い。部屋中に粉塵が舞い、防塵マスクをしていても鼻の穴が真っ白になる。こんなこと毎日してたら確実に寿命を縮めると思った。そして、やっとの思いで下地づくりが終わったら、次にパテの粉を綺麗に掃除し(なんせ部屋中粉塵だらけですから)、塗りたくない部分を養生&マスキングする。この養生の良し悪しによって最終的な仕上が格段に違うから、ここは丁寧に慎重に養生する。
フー、ここまでに何日掛かっただろうか?以前、旧アトリエの壁を塗った時は古い塗装の上に新しい塗装を直に塗った。正直、壁塗りなんてそんなもんだと思っていた。ところが、実際には塗装前にこれだけの作業が必要だったのだ。塗装屋さんの日当が高い訳だ。しかも、この下地が最終的な仕上を左右すると言うのだから、手を抜くことは出来ない。今回の作業で学んだことは「壁塗りとはその8割が下地づくりなのだ」ということ。何ごとも下地づくりが大切なのだ。
全ての養生が済んだら、いよいよメインイベントの壁塗りだ。今回選んだ塗料は日本ペイントの『エコフラット70・白』。エコフラットは室内用塗料の定番商品らしい。施工性も良く、低価格でおまけに低ホルムアルデヒドを売りにしている。これをシンプルにローラー仕上げする。イメージではギャラリーのような真っ白な空間に仕上がるはず。しかし、白は色痩せするからこれも最低2回は重ね塗しないといけない。ちなみに素人の僕は塗装もやはり3回塗しました。
普通はここで完成なんだけど、アトリエの床は構造合板貼りっぱなし状態なので、このままではかなりショボい。何か適当なペンキで塗装することにした。床用ペンキは各社から出てるけど、どれも暗めの色ばかり。まあ、床は汚れやすいから、明るい色に塗る人も滅多にいないのだろう。けれど、僕たちは思いきって白系の色で塗ることにした。部屋中真っ白にする魂胆だ。地元の塗料屋さんに相談したところ、東日本塗料の『水性フロアー』ならカラーチャートで調色してくれると言う。僕たちは白に少量のイエローが混じったミルキーホワイトに近い色を選んだ。待つこと2日間、希望通りに調色された塗料はなぜかプロっぽくて嬉しい。床塗りの前に、折角塗った壁を汚さないようにやはり丁寧に養生する。そしてローラーで床を塗装。構造合板は木目が荒くペンキのヤセが激しいので、結局これも3回塗した。
そして、遂にアトリエが完成した!!真っ白い壁に、白い床!!我ながら美しい仕上がりにウットリしてしまう。自分を誉めてあげたい気持ちで一杯だ。
しかし、これだけでは終わらない。我家には2つのアトリエがある。一つは僕の絵画用アトリエ、もう一つは妻の陶芸用アトリエ。下地づくり作業をはじめて直ぐ「これは相当時間が掛かるぞ」と直感した。そこで、まずは妻の陶芸用アトリエを優先的に仕上げることにした。その理由は、旧アトリエに置きざりになっている荷物は電気窯を筆頭に妻の陶芸関係の品が圧倒的に多く、これを一日でも早く引き上げたかったからである。旧アトリエの大家さんはご好意で「5月中は荷物を置いといても良いよ」と言って下さったのだが、そうは言ってもタダで置かせて頂いているのも気掛かりなもの、僕たちはアトリエの引越しを5月の中頃と決めた。なんとかこれ迄に妻のアトリエを仕上げたい。妻の荷物さえ運んでしまえば僕の荷物はそれほどの量ではない、最悪、完成した妻のアトリエに一時保管しておいても構わない、そう思った。連日の必死の作業の甲斐あって、妻のアトリエはなんとか予定よりちょい遅れの5月15日に完成した。
そして、5月21日、旧アトリエから全ての荷物を運び出した。これで我家の引越しが完全に終わったことになる。大家さん、長いことありがとうございました。
さて、次は僕のアトリエだ。う〜、またこの一連の作業をイチからやり直すのか・・・
妻のアトリエで体力も気力も消耗しきった僕が自分のアトリエを完成させたのは、結局、ほぼ一月後の6月16日のことだった。
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引っ越してから今までの事 引っ越し編
http://fujiyama67.exblog.jp/2804488/
2006-07-15T01:48:00+09:00
2006-07-15T02:05:26+09:00
2006-07-15T01:48:44+09:00
fujiyama67
引っ越してから
みんさなんご無沙汰しております。
前回の記事から、ほぼ3ヶ月ぶりの更新です。
さて、この3ヶ月間、一体何をしていたのかと言うと・・・
4月末に高原の新居に引っ越してから、内装の壁塗りだの、庭の石拾いだの、ゴミ拾いだの、その他諸々の作業(主に肉体労働)に追われる日々が続いてたのだ。
引っ越した直後は「念願の田舎暮しのスタート」「憧れのスローライフのはじまりはじまり」と無邪気にはしゃいでいたが、現実はそんなに甘く無かった。
引っ越してから2ヶ月半、今思うのは「田舎暮しはなかなかシンドイぞ!!」ということ。
長いこと都会の便利さを無自覚に享受していた身にとっては、何ごとも初めての経験ばかりで、まさに骨の折れる毎日の連続。
まあ、この苦労も今にして思えば楽しい日々だったけどね・・・
そこで、時系列で書くと誓ったこのブログだが、家づくりの記録は一旦お休みして、先に引っ越してから今までの事をサラッとおさらいしておきます。
なんせ、早く書かないとこの苦労の日々を忘れちゃいそうで・・・
まずは引っ越し編から。
引越しは4月27日。小雨の舞う生憎の空模様。
今回お世話になったのは『アクティブ引越しセンター』のみなさん。
初めは、安くあげようとレンタカーを借りてのセルフ引っ越しを企んでいたが、念のため数社に見積りを依頼したら、このアクティブさんはレンタカーを借りるのと同じような額だった。
しかも、見積もりをお願いしてからの対応が迅速だったのも好印象。こういうのって重要ですよ。
最終的には、その安さに惹かれてお願いしたが、いやいや安いだけじゃない。
みなさん礼儀正しく、仕事も丁寧で、9時頃から始まった引越しは、あっという間に荷物を運び出し、高速の移動時間2時間を入れても午後3時頃には新居に全ての荷物が納ってしまった。
新居は生活空間が完全に2階になるなので、階段の昇り降りが本当に大変だったと思うが、みなさんマシンのように黙々と運んで下さる。
驚いたのはその腕力。本のビッシリ詰まったダンボール箱をヒョイヒョイと2個重ねて運んじゃう姿は流石プロの仕事。 冷蔵庫なんかとても自分達では運べなかっただろうな。
ちなみに、今回は3tトラックに積み切り(積める分だけ持っていく=積めない分は置いて行く)というスリリングなプランに作業員3人付きで、総額9万円なり。 (あ、荷物はきっちり全部積めました。ご安心を)
午後には雨も止み、荷物も濡れずに済んだ。
アクティブ引っ越しセンターのみなさん本当にご苦労さまでした。感謝、感謝。
さて、実は今回は住居スペース分だけの引越しで、この時点ではアトリエの荷物は手付かずのまま残っている状態だった。
と言うのも、我家は予算の都合上、アトリエ部分は内装工事をセルフビルドするという条件で安く作って頂いたので、この時点ではまだアトリエは未完成、とても荷物を運び込める状態ではなかった。
僕たちの計画は、とりあえず4月中に居住スペース分だけ引っ越して、新居に住みながらゴールデンウィーク中にアトリエを仕上げる、というものだった。
しかし、このアトリエの内装工事が思いのほか手こずり、結局、まる1ヶ月半も掛かってしまったのだな。
(次回、アトリエ壁塗り編につづく)]]>
資金調達の顛末
http://fujiyama67.exblog.jp/1667923/
2006-04-08T00:46:00+09:00
2006-04-09T00:01:05+09:00
2006-04-08T00:46:45+09:00
fujiyama67
家づくりの記録
実は我家のドタバタ家づくりもいよいよ終盤に入り、先週は遂に外壁塗をしてきたのだ。(セルフペイントですよ〜。ご協力頂いた皆さん、本当にありがとうございました。近況は妻のブログで報告していますので、そちらをご覧下さい。外壁塗り終了〜!)
このペースで順調に工事が進めば今月中にはなんとか完成する。(ハズ?)
で、引っ越しは4月末か5月のゴールデンウィーク頃の予定。(かな〜)
僕たちがはじめて土地を見に行ったのが去年のゴールデンウィーク頃だから、あれからちょうど一年で引っ越すことになるのだな。
たった一年で家が建って、引っ越すことになるとは・・・
長かったような短かったような・・・
いやいや、やっぱりあっと言う間の一年でした。
不動産屋さんのこと、売り主さんのこと、土地の購入のこと、建築家さんのこと、測量のこと、設計の打ち合わせ、樹木伐採のこと、廃屋の解体、基礎工事、井戸屋さんのこと、建て方、上棟式、大工さんのこと、壁塗りのこと・・・などなど。
まだまだ書かなくてはいけないことが沢山あるではないか。
早く書いてしまわないと忘れてしまいそうだぞ。
しかし、このブログは時系列で書くと決めたのだ。
だから、とってもスローペースで、読んでくれている皆さんにはとっても焦れったい思うが、これから土地購入の資金調達の顛末を書くのだ。
いつになったら家づくりに入れるのかな・・・
さて、僕たちは朝霧移住に向け、気分だけはすっかり盛り上がっていた。
しかし、問題はお金だ!!
普通、家を建てようと考えている人はどれくらい前から資金調達を始めるものなのかな?
それとも、来たる日に備え日頃からコツコツと貯金をし準備しているのだろうか。
僕たちの場合、恐ろしい事に将来の計画性はゼロ、当然貯金もほぼゼロ、おまけに収入の不安定な作家業ときている。
どうやったって土地を買うお金なんか出てくる訳はない。
まあ、土地や家をキャッシュで買う人も稀だろうから、普通は住宅ローンを組んで資金を調達するのだろう。
僕たちも最初はそんなことを甘〜く考えていた。
毎月の返済額に換算すれば今までの家賃出費よりも安いくらいなのだから、僕たちにだって返せない額ではない。
しかし、現実には僕たちのような収入不安定な作家業(おまけに低収入)の輩にはどっこもお金なんか貸してくれないのだな。
まあ当然と言えば当然です。
今までさんざん自由にしてきたのだから、社会的信用も当然ゼロに等しいのだ。
さあ、困ったぞ、どうするどうする。
普通ならここで諦めますよね。
でも、我々は少しだけ欲と業が深かった。
え〜い、いい歳してみっともないのは承知の上、困った時の親頼みだ!!
こうなったらダメモト覚悟でお願いしてみようなではないか。
あの〜、これこれこう言う事情なんですけど、資金の方なんとかならないですかね?
「良いんじゃない。」
えっ!!我が耳を疑う母のお言葉。
「お前達のような仕事は、田舎でゆっくり腰を据えてやるほうが良いんじゃないか。」
「お金はこっちで何とかするから、その計画を進めなさい。」
恐ろしい事に、父もなんだか乗り気だぞ!!
ひぇ〜、どういう風の吹き回しだ。
いつからこんな寛大な親になったのだ!!
頼んでおいてこんなこと言うのも何だが、こうも簡単に協力してくれるとは思わなかったぞ。
とにかく、信じられない事だがウチの親は僕たちの朝霧移住に結構乗り気らしい。
しかも、資金は全面的に援助してくれると言う。
うへ〜、なんと有難いことか。
しかし、いったい何が起ったというのだ!!
「実は先日、ウチの北海道の土地を買いたいという人が急に現れたのだ。」
僕の父は北海道出身なのだが(僕も中三まで北海道で過ごしました)、父は数十年前に「いつか別荘を作るつもり」でサッポロの郊外に土地を購入していたのだ。
山腹にあるその土地は、父が買った当時はまさに別荘地のような風情だったそうだが、数十年も経つとすっかり普通の住宅街に変わってしまった。
そう言えば、十年ほど前に僕が見に行った時も、密集した住宅街の中にウチの土地だけがポツンと忘れ去られた孤島のように取り残されていたっけ。
その後、一家で東京に越してきてからもたま〜にはあの土地のことを話す事もあったが、最近ではすっかり話題にものぼらなくなっていた。
一応、数年前から地元の業者に管理をお願いして草だけは定期的に苅ってもらっていたのだが、故郷に別荘を持つという父の夢は結局実現する事なく今に至っていたのだ。
ところが、家族からも忘れ去られていたその土地を買いたいという人が数日前に急に現れたと言うのだ。
しかも、その金額がほぼ朝霧の土地と同じくらいだというではないか。
う〜ん、なんたる偶然!!
いや、これは神の御采配か!!
実は、父も土地を買いたいというこの突然の申し出に気持ちも大きく揺らいだのだが、「故郷に別荘を」という永年の夢も捨てがたく、どうしたものかと決めかねていたそうだ。
そこへ、グットタイミングで僕たちが「朝霧に良い土地があるんだけど・・・」なんて言ってきたものだから、これは運命かも知れないと思ったのだろう。
「今さら北海道に別荘を作ってみても東京住まいの一族が頻繁に行ける訳でもなし・・・、それならいっそのこと朝霧に次男夫婦の家を建て、そこを一族の別荘のように使えば良いではないか・・・」と、そんな事を考えたらしい。
話はとんとん拍子でまとまり、北海道の土地を売ったお金で父が朝霧の土地を購入し、僕たち夫婦は住みながらそのお金を父に返済するということになった。
しかも、当面の家づくりの資金も父の方で用意してくれると言うのだ。
こっちにとっては願ったり叶ったりの申し出だ。
それにしても、人生というのは不思議なものだ。
タイミングというか、運命というか・・・
もちろん神の存在なんて信じてないし、運命論者という訳でもないけれど、全てのタイミングがピタッと揃う瞬間ってあるんだな〜とつくづく思った。
昔、坂本九も唄っていたではないか「この世で一番大切な〜のは素敵なタイミング!!」と。
その後、家を建てた知人達の何人かに話を聞いたのだが、みなさんが口を揃えて言うのは、やはり不思議なタイミングというか運命のような巡り合わせがあって家づくりに踏み切ったというお話ばかり。
それとも、家づくりなどという一世一代の大事業では、やはり誰しもどこか神憑り的な人知を超えた運命のせいにでもしてしまわないと自我が崩壊するような重圧を無意識で感じているのだろうか?
少なくとも僕たちの場合、あまりの事のデカさに自分達の判断力の許容範囲を遥かに超えた思考停止の状態にあったのは事実だ。
だから、もし父が快く協力を申し出てくれなければ、僕たちもすんなりこの話を諦めていたかも知れない。(もちろん資金的に自分達だけではどうしようもなかったのだが・・・)
しかし、これは父も同じで、もし僕らが朝霧の話をもち出さなければ、やはり北海道の土地を手放す決心がつかなかったのだろうと思う。
何はともあれ、不思議な運命に導かれ、家づくりの資金調達は拍子抜けするほど呆気なくメドがたってしまったのだ。
さて、次は実際の土地購入手続きと建築家探しだぞ。
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だんだんその気になってくる
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2006-03-17T21:27:43+09:00
2006-03-19T00:51:18+09:00
2006-03-17T21:27:42+09:00
fujiyama67
家づくりの記録
賃貸住宅につきもののあの忌わしい『更新』が近づいていたからだ。
それにしても、この『更新』というシステムはどうにも納得がいかない。
今まで住んでいた同じ部屋が、綺麗に改装される訳でもなく、何か新しいサービスが加わる訳でもなく、ましてや家賃の見直しがされるという訳でもないのに、何故に一月分もの家賃を手数料として取られなくてはならないのか?
僕たちが公営住宅に魅力を感じていたのは更新が無いからなのだが、でも、公団の抽選は何度応募しても毎回決まって落選だった。
そして、画期的なアイデアに思えたハウス暮らしの夢も消え去った。
この他にも色々な物件を見に行ったのだ。
更新のない暮らしを夢見て、中古マンションの購入も考えた。
近頃は中古マンションも底値状態で、今の家賃より安い返済額で買える物件が沢山ある。
計算してみたら、このまま家賃を数年間払い続けるくらいで十分に買えてしまえそうだ。
数年前に友人のカメラマンが中古のマンションを購入し悠々と暮らしているのを見ていたので、選択肢の一つとしてそんな事も考えていたのだ。
でも、結局この時は「これだ!!」という物件には巡り合えなかった。
やれやれ、今回もまた更新か・・・
しかし、次の更新までにはなんとかしなくては・・・
そう思っている時に、朝霧の土地に出会ったのだ。
Nに連れられて土地を見に行った直後は、正直こんなとこに住むのは絶対に無理だと思った。
妻は相当気に入ったみたいで、あの草原の素晴らしさを熱く語っていたが。
家に戻ると、Nからも僕たちの朝霧移住を熱望するメールが届いていた。
そこには、僕たちがあの土地に住んでいる様子や、あの高原がちょっとした芸術家村のような状態になっている、そんな楽しそうな未来の夢が書かれていた。
「この夢は是非とも実現したいものである!!」
興奮気味に書かれたそのメールは実に悩天気でいかにもNらしく、また僕たちが移り住んでくるのを楽しみにしてくれていることが伝わり、僕もちょっと嬉しくなった。
しかし、その時の僕はまだまだ否定的な気持ちで一杯だった。
たしかに周りの景色は素晴らしかったが、薮化して足を踏み入れることもままならないあの土地は、僕が思い描いていた草原の暮らしとはあまりにも似ても似つかぬ状態に思えたからだ。
それに、あの廃屋!!
Nはさかんに「ココに住めばイイじゃん」なんて言っていたが、僕にはまったく理解出来なかった。
とにかく、僕はトゲトゲの薮とカビカビの廃屋にただただ猛烈にビビりまくっていたのだ。
しかし、しばらくして僕のビビり心も少しづつ薄れてくると、あの恐ろしく思えた薮や廃屋が、実はそれほど大した問題ではないように思えてきた。
普通、僕たちが目にする宅地は綺麗に整地された状態で売られている。
でも、どこだって整地する前はあの薮と同じような状態なのだ。
数年前、家の近所の雑木林をどこかの業者が切り開いて、整地して、あっという間に宅地にしてしまったことがあった。
それまでうっそうと繁った(近所の住民にとってはなかなか貴重な)森だった場所が、わずか数日でどこにでもある普通の宅地になってしまった。
あの時はひどく残念に思ったものだが、考えてみれば、あんなにうっそうと繁っていた森がわずか数日で更地になるのだから、あの薮や廃屋なんかあっという間に片付いてしまうのではないか。
それに、廃屋が建っているということは、少なくとも過去に一度は整地したことのある土地のはず、薮や木を伐採し、廃屋を壊してしまえば(既に倒壊寸前だし)見違えるような立派な更地になるだろう。
どうやら日頃からパッケージ化された商品ばかりに接しているものだから、手付かずの状態のものにどう対処して良いのか分らなくなっていたようだ。
幸い、朝霧には林業のバイトをしている友人もいる。
彼に相談すれば樹木の伐採くらいお願いできるかも知れない。
もしかしたら、交渉次第では売り主の方で整地してくれるかも知れないし・・・
そう考えると、途端にあの土地が素晴らしいところのように思えてきた。
なんたって、薮から一歩外に出れば、周りの景観は本当に素晴らしいのだ。
三方をぐるりと山に囲まれた隠れ里のような静けさ。
それでいて麓に広がる牧草地は陽当たりが良く、東側には富士山が美しく聳えている。
空にはパラグライダーが舞い、周りには見渡す限り一軒の家もない。
こんな楽園のような場所が他にあるだろうか?
しかも、近所には友人達が住んでいるし、脇道をちょっと下がれば昔からの集落があるので、全くの孤立無援という訳ではない。
この前見た感じでは、ライフラインも一応は整ってるみたいだし・・・
う〜ん、考えれば考えるほど、素晴らしい土地に思えてきたぞ。
この頃には僕のビビり心も完全に消え失せていた。
そして、朝霧移住をかなり魅力的なことのように思い始めていた。
しかし、これには妻の説得もかなり効いたのだ。
「やっぱりあの草原はすばらしい!!」
「こんなチャンスを逃したら二度と巡り合えないかも知れない!!」
こんなことを何度も耳もとで聞かされていると、だんだんその気にもなってくる。
「思いきって、引っ越しちゃおうか!!」
「とりあえず、例の土地の詳細を問い合わせてみようよ。」
「他にも手頃な物件がないか調べてみないとね。」
こうして僕たちは朝霧移住に向けて本格的に動きだしたのである。
やっぱり、まんまと乗せられたのかな・・・
と、ここまでは良いんだけど、問題はお金だ。
土地の販売価格はさすがに田舎だけあってそれほどの額でもない。
以前、中古マンションの購入を考えたのと同じくらい、僕たちだって頑張れば買えるくらいの額だ。
しかし、土地だけ買っても、家が無くては・・・
Nの言うように例の廃屋を直して住むってのは?
ううう、それだけはどう考えても絶対無理だな〜
だって、もう既に倒壊寸前だし・・・
仮に直すにしたって、それなりの費用は掛かりそうだぞ。
さて、どうする、どうする?
しかし、人生とは上手く出来ているもので、
このお金問題が意外と簡単になんとかなっちゃうのだ。
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ハウス騒動
http://fujiyama67.exblog.jp/1264520/
2006-03-16T05:02:39+09:00
2006-03-16T15:35:55+09:00
2006-03-16T05:02:39+09:00
fujiyama67
家づくりで考えた事
我家が借りているアトリエは埼玉県の入間市という街にある。
アトリエから車で5分くらいのところに『稲荷山公園』という素敵な公園があり、天気の良い日にはよく散歩に行く。
ここら辺、昔は米軍基地があったところで、稲荷山公園はその基地跡に作られている。
それでなのだろう、一面を緑と芝に覆われた起伏のある公園は、どこか外国の町並みを彷佛とさせる趣きがある。
基地時代の名残りの歩道や階段がイイ具合に景観を演出し、今はもう壊してしまったが、僕らが引っ越してきた頃には公園内に大きな木造の倉庫なども残っていた。
切妻屋根、南京下見張りのノスタルジックな外観のその大きな木造倉庫は、公園内に独特の異国情緒を醸し出し、僕らの大のお気に入りだった。
お気に入りと言えば、稲荷山公園の近くには今でも『ハウス』がぽつぽつと点在している。
僕らは散歩のたびに数棟のハウスが集まって残る町並みを羨望の眼差しで眺めては、将来はこんな家に住みたいものだと話していた。
ところがある日、そのハウスの前に『空き家あり』の看板を見つけたのだ。
憧れのハウスに住めるかも知れない・・・
『ハウス』とは、元々は戦後占領軍(連合軍)のために建てられた住宅(デペンデント・ハウス)で、その後、民間に賃貸住宅として開放されたものだ。
福生や立川の『アメリカ村』等が有名で、70年代には一部の若者たちの間で一種のブームにまでなったそうだ。
ハウスの一番の魅力は、切妻屋根、平屋づくり、南京下見張りペンキ塗り仕上げのアメリカ臭いシンプルな外観と、日本離れした開放的な間取りだろう。
とにかく、三角屋根のそのシンプルな姿は、もう小さな子供が描く絵の中の家のような、何と言うか『家の祖形』のような魅力がある。
外観の印象はほぼ同じなのだが、サイズや間取りには幾つかのバリエーションがあるようだ。
当時の占領軍では住む者の階級によって家の大きさが決められていたのだろうか、 稲荷山公園周辺のハウスにも大きいものから小さいものまで幾つかのバリエーションがある。
今回貸しに出されていたのはかなり大きい方のハウスだ。
さすがに築50年の木造住宅だけあって外観のくたびれ感は否めないが、窓から部屋の中を覗くとあまりの広さに仰天した。
20帖以上はあろうかという巨大なLDKのワンフロアーがドドーンと目に飛び込んできた。
天井も高く、床はもちろんフローリングの板張り、壁は執拗なまでにペンキ塗り仕上だ。
玄関扉は欧米風の内開きで、いわゆる玄関という独立したスペースはなく、ドアを開けるとすぐそこが居間という感じである。
これだけではない、敷地の周りをぐるりと散策してみると、この大きなLDKの他に個室が2つ(もしくは3つだったかも知れない)ほどあり、庭のベランダには広々としたサンルームまで作られている。
この広さならアトリエ兼住居として十分使えるかも!!
そうすれば、今のように2ケ所借りなくてすむ訳だから、家賃出費も抑えられそうだ。
これは僕らが待ち望んでいた画期的な物件かもしれない。
僕も妻もかなり興奮して、家の周りを何度もうろうろしていた。
その姿がよっぽど不審だったのだろう、向かいの住人が様子を見に近寄ってきた。
事情を説明すると、その人は親切にもハウスでの暮らしについて色々と教えてくれた。
まず、古い建物だから継続的なメインテナンスが必要だということ。
それから、冬は結構寒いということ。
う〜ん、覚悟はしていたが・・・、やはりそんなに寒いのですか?
でも、その人は昔からず〜と住んでいるので、もうハウス以外での暮らしは全く考えられないそうだ。
「なんたって日本の家とは比べものにはならないくらい広々してるし、内装なんかも自由に改造させてくれるから気楽だよね。」
「それに、この辺はハウスが好きな人達ばかりが住んでるから、住人達もみんな個性的で楽しいよ。」
で、肝心の家賃は幾らくらいなんでしょうか?
「ウチは昔から住んでるから、安いよ〜、月○万円!!」
ええ〜、安い、安過ぎる!!
「とにかくハウスは一度住んだらやめられないよ。」
そりゃそうでしょ・・・
じゃあ、貸しに出てるあのハウスもそれくらいですかね?
「いや、あそこはウチとは大家が違うし、修繕なんかも結構やってるから、もう少し高いって聞いてるよ。」
幾らだって言ってました?
「たしか、○○万円くらいだったかな〜」
何、それじゃほとんど倍額じゃないですか!!
「そうだね〜。でも、ハウスの空きってなかなか見つからないから、住みたいんならチャンスだと思うよ。」
僕たちが焼き物や絵を描いていると話したら、この辺はそんな人達ばかりが住んでると喜んでくれた。
いいな〜。
家に帰って、早速、大家さんに電話で問い合わせてみた。
やはり、家賃はさっきの人が言ってた額だった。
喉から手が出るほど住みたいが、さすがに築50年の木造住宅でこの家賃は高過ぎる。
半額だったら迷わず決めたんだけどね。
それにしても惜しい、惜し過ぎる。
せっかく見つけたハウスの空きを、家賃が高いと言う理由でみすみす見逃すなんて・・・
なかなか諦め切れない僕らは、「広い家だから誰かとシェアしようか?」なんて事も真剣に考えた。
しかし、一緒に暮らしてくれそうな友人達に片っ端から打診してはみたものの、片っ端から断られた。
みんなさすがに夫婦モノとは一緒に住みたくないそうだ。
おまけに僕の実の弟にまで断られる始末。
そうこうしてる間に、あのハウスは他の人がさっさと借りてしまった。
羨ましい・・・
それでもハウスを諦め切れない僕らは(正確には僕はとっくに諦めていたのだが、妻の方がどうしても諦められなかったらしい)、しばらくハウスの賃貸情報を探していた。
すると、入間の磯野商会という不動産屋がハウスの物件を専門に扱っていることが分かった。
連絡を取ると、空き物件が幾つかあり、中も見せてくれるという。
早速、見学に行くと、若い社長さん自らが案内してくれた。
何棟くらいあるのだろうか、平屋づくりのハウスがズラ−っと並んでいる。
元々ご先祖がこの辺り一帯の地主さんで、今はこの若い社長さんがハウスの町並みを残そうと維持管理を引き継いでいるそうだ。
老朽化したハウスは元通りに復元し、中にはハウス風に新築した物件もあるという。
修復中だというハウスを何棟か見せてもらった。
稲荷山公園で見たハウスよりは全体に幾分小さめのサイズだ。
これではアトリエ兼住居にするにはちょっと狭いかな〜。
まあ、それでもここは今の家よりアトリエにずっと近いから、交通費がかなり浮きそうだぞ。
今の家からアトリエまでは車で通っているのだが、ガソリン代もバカにならないのだ。
それに引き換え、ここはアトリエまで自転車で(徒歩でも)楽に通えそうな距離。
期待に胸を膨らませ、お値段を聞いてみると・・・
ガビーン!!
稲荷山公園のハウスと同額じゃん、そりゃないっすよ〜。
でも、考えてみれば古い木造住宅を丁寧に修復し、これだけの戸数を維持管理していくのには随分と費用もかかるのだろう。
僕たちにとっては高い家賃だけど、このある意味歴史的な町並みを残す為にはこれ位のコストは仕方ないのかな〜と思ったりもした。
昔の町並みを維持するというのは並大抵なことではないのだ。
しかし、それにしても僕たちにはやっぱりどう考えても絶対無理な額だ。
こうして、ハウスの夢は我々の前から完全に消え去った。
しかし、今にして思えばこの一連のハウス騒動のお蔭で、僕らは「アトリエ兼住居」という発想を頭の片隅で持つようになったのだな。
そして、「どうせなら築50年の借家なんかじゃなく、自分達の手でハウスよりずっとカッコ良い家を作ればイイじゃん」と悔し紛れに冗談とも本気ともつかない話をするようになったのだな。
それが、まさかこんなに早く現実になるとはね。
その時は夢にも思っていなかった。]]>
我家の住宅事情
http://fujiyama67.exblog.jp/1209899/
2006-03-13T00:54:47+09:00
2006-03-14T00:37:38+09:00
2006-03-13T00:52:23+09:00
fujiyama67
家づくりで考えた事
何をしていても頭の片隅では田舎暮しやあの大草原のことを考えてしまう。
今までは夢物語としか思っていなかったが、現実に大草原のど真ん中で悠々と暮らしているRさんのような人の存在を知ってしまうと「ひょっとすると僕たちにも実現可能なのではないか」なんて思えてくる。
もちろんRさんと我々とでは根本的な経済力が全く違うのだが・・・
今回の土地を見るまでは「土地を買う」なんて大それた事は考えてもいなかったのだが(もちろんこの時点ではまだそんな事は考えていない)、実は以前から「そろそろ引っ越そうかな」くらいのことは考えていた。
ここで我家の住宅事情を少し説明しておこう。
この時点で我家は2つの場所を借りていた。
一つは住居として、もう一つは仕事場として。
住居の方は賃貸マンション。
埼玉と東京の県境に位置する長閑な丘陵地にあり、交通の便は悪いが、そのかわり周りに緑が多い。
家賃も東京に比べずっと安いし、窓から緑も見えるので、僕たちは結構気に入って、結婚してからずっとここに住んでいた。 (↑ウチの窓から見える景色。)
もう一つ借りている仕事場は、住居から車で15分くらいとのところにある貸工場。
この貸工場を改造してアトリエとして使っている。
言い忘れたが、妻は陶芸をやっていて、僕は絵を描いている。
大学を卒業する時、恩師に「何でもいいから制作を続けられる場所を持て」と言われた。
僕たちはその教えに従い、制作できる場所だけは持ち続けたいと常々思ってきた。
もちろん、二人とも作品だけで食べられる程売れっ子な訳ではない。
各々が講師などの仕事をしながら、なんとか仕事場を借りて今まで制作を続けてきた。
同世代の作家達なんてみんなそんなもんだと思うが、我々ももうほとんど仕事場を借りる為に働いているようなものだ。
でも、この『仕事場=アトリエ』を持つということは、僕たちの人生にとってはなくてはならない最重要項目の一つなのだ。 (↑アトリエ外観、借り始めた頃)
(↑アトリエ室内、この頃はまだ綺麗だった)
しかし、さすがにこの2つの家賃が少しづつ重荷になってきた。
というか、バカバカしくなってきた。
住居も仕事場も他に比べれば随分と格安で借りられているのだが、それでも2つ合わせると毎月の支払が結構な額になる。
そもそも、我々の収入で今まで続けてこれたのが不思議なくらいなのだが・・・
試しに、結婚してから今までに支払った家賃の総額を計算してみたら、その恐ろしい事実に気が遠くなった。
これなら、あと数年払い続ければ家ぐらい買えそうじゃん!!
そうは言っても、この時の僕たちにはまだ家を買うなんて発想は全くなかったから、とりあえず住居の方だけでももう少し安いところに引っ越そうと現実的に考えていたのだ。
仕事場は今以上の条件で借りられるところは見つかりそうもないから、とりあえず住居の方で家賃出費を抑えたい。
そんな訳で、公営住宅の募集などは毎回応募してみたし、安い物件があれば見に行ったりもした。
しかし、公営住宅の抽選はことごとく落ちるし、見に行った物件はどれもイマイチ。
そりゃそうだ、公営住宅なんて倍率が数十倍の難関、当たりっこない。
それに、こう言っちゃあ何だが今住んでいるマンションは緑が多くて実に気持ちが良いのだ。
ここと比べるとどこだってイマイチに見えてしまう。
しかし、なんとかもう少し家賃を抑えたい。
ああ、何処かに今の我々の住宅事情をズバッと解決してくれる画期的な物件はないものだろうか・・・
そんな状態をここしばらく続けていたのである。]]>
薮化した森と廃屋に大いにビビる
http://fujiyama67.exblog.jp/947345/
2006-02-25T05:10:50+09:00
2006-02-26T16:35:09+09:00
2006-02-25T05:10:50+09:00
fujiyama67
家づくりの記録
探しはじめて数十分、辿り着いたその土地はすっかり森になっていた。
いやいや、森ならばまだ良いのですが・・・
残念なことに、ここはすっかり薮化しちゃってます。
うっそうと繁った草木に廃屋はすっかり飲み込まれ、近づく事さえままならない。
足元にはイバラの刺がチクチクチクチク・・・
もう人の侵入を土地全体が全身全霊で拒んでるような感じ。
周りの景色が素晴らしかっただけに、あまりのギャップにしばし茫然。
広々とした高原を一望できる、明るくて、開けた土地をイメージしていた僕は、正直言ってかなりガックリだぞ。
お〜い、高原の家はどこだ〜。
今だから言おう。
この土地の第一印象は最悪でした。
土地も凄いが、廃屋もこれまた凄い!!
視界を遮るように低く垂れ込めた枝を払い、足にチクチクと刺さるイバラを踏み分け、決死の探検家よろしく廃屋に近づくと・・・
あらららら、壁は腐り落ち骨組みはむき出し、おまけに屋根は傾き今にも崩れ落ちそうな勢いだぞ。
廃屋の周りには、割れたガラス窓や、剥がれたトタン屋根の一部や、訳の分らないプラスチックの破片等々が散乱してる始末。
兵どもが夢の後・・・
割れた窓の隙間から中を覗くが、う〜ん、よく見えん。
ふと気がつくと、ドアは壊れ既に半開き状態ではないか。
え〜い、怖いもの見たさで恐る恐るドアを開けてみると・・・
ひぇ〜!!
あまりの恐怖に言葉も出ません。
カビカビのボロボロのジメジメ。
これは無理でしょ・・・
僕はもうただただビビるばかりです。
ところが、 我が耳を疑うNの衝撃発言!!
「イイじゃん、この廃屋直せば住めそうじゃん」
あんた正気か、こんなお化け屋敷のような廃屋に誰が住めるか!!
ブレアビッチ・プロジェクトという映画をご存知でしょうか?
あの映画の最後に恐ろし気な廃屋が出てくるけど、あれと比べても全然負けてないってくらいですよ。
近所の子供たち(こんな場所に近所があればの話ですが)は、絶対にここで肝試しやってるに違いないっすよ。
それをあなたは直して住めとおっしゃる。
まったくNは何を言い出すやら・・・
「おお〜!!」
おっ、いつも脳天気な妻もさすがにこの廃屋にはビビったか、言葉も出ないご様子か?
「いいね〜、ここ。ワクワクするね〜。」
何!!そう来るか!!
こいつら、どういう神経してるんだ。
とりあえず敷地をぐるりと一周してみた。
廃屋の裏に井戸らしきモノを発見。
井戸と言ってもいわゆる昔ながらの汲み上げ式の井戸ではなく、電動ポンプ式の近代型井戸だ。
ふ〜ん、ここら辺は井戸なんだ。
木製の電柱を発見。
一応、電気はちゃんと来てたのね。
田舎には自家発電ってとこもあるそうだから、電柱を見つけるとなんとなく分明の恩恵を被ってる感じがして安心する。
錆たガスボンベ発見。
一応、水、電気、ガスの基本的なライフラインは整っていたのだな。当たり前か。
二棟目の廃屋はまだ少しはマシだった。
なんたって壁がしっかり付いているもの。
Nはしきりに「こっちなら絶対に直して住める」と言い張っていたが、それでもカビカビジメジメにかわりはない。
まあ、こういう廃屋を少しづつ直して住むってのも好きな人には面白いかも知れないけどさ、僕にはやっぱり無理かな〜
そこまでワイルドな人間じゃないんだよね。
始終ビビりまくってた僕と、始終イイじゃんイイじゃんと連呼してたNと、何故か無性にワクワクしてた妻の三人は、こうして第一回目の偵察を終えた。
土地を後にして車に向かう途中、偶然、散歩中のおばあさんに会った。
おばあさん、凄いとこ散歩してますね〜。
このおばあさん、すぐ下の集落の人で、この辺はいつもの散歩コースらしい。
聞くところによると、この辺り、昔は一面お茶畑だったそうだが、その後、牧草地として使われるようになったそうだ。
「食べ物育てても、みんな猪が食べちゃうら」
猪が出るんですか?
「熊も出るよ」
ひえ〜!!
熊ですか、やっぱここに住むのは無理かな〜。
熊が出ると言い残し、おばあさんは去って行った。]]>
土地を探して・・・
http://fujiyama67.exblog.jp/699968/
2006-02-09T03:33:41+09:00
2006-02-09T14:03:23+09:00
2006-02-09T03:33:41+09:00
fujiyama67
家づくりの記録
翌朝、N家の娘を保育園に送り届けた後、僕たちは早速その土地に向かった。
昨晩、ネットでこの土地を見つけた時、Nにはそこがどの辺りかピンと来たそうだ。
Nの読みだと、「娘の通う保育園からそう遠く無い所にパラグライダーの着地場になっている草原があるのだが、たぶんその草原の片隅ではないか」という事だ。
ここで少し説明をしておくと、朝霧高原は実は知る人ぞ知るパラグライダーのメッカで、休日ともなると沢山のパラグライダーが空を舞う光景が見られる。
パラグライダーは高い山の上から飛び立ち、フワフワと宙を舞った後、地上に帰還するのだが、朝霧高原には彼等の為の滑走路(?)と着地場が何ケ所かある。
滑走路は富士山のちょうど西側に位置する山々の上にあり、着地場はその山の麓に広がる草原だ。
ネットで紹介されていた土地周辺の写真が、パラグライダーの着地場になっている草原の景色にそっくりだとNは言うのである。
保育園から車で数分。案内されたその草原は周りをぐるりと山々に囲まれ、まるで隠れ里のようなのどかな風情だ。
すぐ近くを国道が走っているとはにわかに信じられない。このあたりは国道から一本奥に入るとどこもこんな感じなのかな。
その日は平日だったのでパラグライダーは飛んでなかったが、着地場なのだろう、なるほどだだっ広い草原だ。
着地場の周りは牧草地なのだろうか、背の高い草が風に揺られている。
その草原を取り囲むように森が広がり、その後ろに山が近づいている。 ちょっとした別世界だ。
天気が良かったこともあって、気ノリのしていなかった僕もすっかり嬉しくなってしまった。
おいおい、本当にこの草原の片隅に例の土地があるっていうのか?
いやー、ここに来るまではそれほど期待してなかったけどさ・・・
ちょっとこの景色、出来過ぎじゃない。
「たぶん、この着地場の向こう側だと思うんだよね・・・」Nが言った。
「車で一周してみようか?」
着地場をぐるりと囲むように牧草地が広がり、その牧草地をさらにぐるりと囲むように農道が一周しているらしい。
目指す土地はその農道沿いにあるのではないか、とNは言うのだ。
昨晩、ネットで調べたところによると、その土地にはたしか廃屋が建っているハズである。しかも、二棟並んで。
周りに家らしきものが一軒もない草原、二棟並んだ廃屋を見つける事などわけないだろう。
よし、目指せ廃屋!!
僕たちは廃屋を探しその農道を一周した・・・
ところが、一周しても全然それらしき廃屋が見つからないのである。
「あれ、おかしいな〜、絶対ここだと思ったんだけどな〜」
そうこうしてる間に、もと居た場所に戻ってきちゃったぞ。
お〜いNさんよ、本当にここでいいのか?
もしかして、全然見当違いの場所を探してるんじゃないだろうな?
しかし、Nは全然メゲていないようである。
「よし、もう一周してみよう」
たぶん、今走っている農道から少し奥まったところに廃屋は建っているのだろう。
そして、その廃屋は人目につかないようひっそりと隠れるように建っているのだ。
だからこそ、今まで買い手も付かず、僕たちに見つけられるのを長い間じっと待っていたのだ・・・
どうしてもこの草原の一画に目指す土地があると信じたい僕らは、とりあえずそういう自分勝手な結論に達した。
だから、今度はさっきよりもゆっくりと車を走らせた。
もう目を皿のようにして、僕も、妻も、Nも、かなり慎重に、獲物を探すハンターのように、辺りをキョロキョロ。
「あ、あそこに建物が!!」Nが叫んだ。
農道からかなり奥まった所にかすかに家らしきものが見える。
「お、道らしき形跡があるぞ。このまま車で入ってみよう!!」
言い忘れたが、Nの車は4駆である。道らしき形跡があれば、何の躊躇もなくガンガン入っていく。
それにしても、この道ちょっと狭くないっすか?
「平気、平気。だって、道があるじゃん。」
言い忘れたが、昨晩ネットで調べたところによると、その土地までは一応ちゃんとした道が通じているらしい。
「長い間使われていなかった道は、今やケモノ道と化しているのだ」というのがNの理屈。
しかし、これは人ひとりがやっと通れるかなって感じの、ほとんど草をかき分けた程度のケモノ道ってレベルじゃないすか。
それに、ほれ、行き止まりですよ。
目の前に建っていたのは、何の事はない、牧草地を耕している農家の方の物置だった。ブブー。
農道に引き返し、またゆっくりと車を走らせた。
考えてみれば、さっきは廃屋ばかり探していたけどさ、どうせ廃屋は奥まったところにあって見つけにくいんだから、今度は廃屋まで通じている道の方を探せば良いんじゃないかな?
そう発想を切り替えてみると、なるほど今まで気づかなかったが、農道から枝分かれしてる小道がちらほらとあるではないか。
たいていはケモノ道程度の小道だが、何本かは車で入る事もできるちゃんとした道もある。
そのウチの一本、一番気持ち良さそうな道の入口に車を止め、今度は歩いて探す事にした。
その道は牧草地のど真ん中を突き抜けるように走っていて、少し高台になっている場所からは草原全体を見渡す事ができた。
今一周してきた農道が遠くの方にぐるりと見えるし、向こうの方にはパラグライダーの着地場も見える。
気持ちの良い風に吹かれ背の高い牧草が波のように揺られている。まるで、牧草の大海原。
こんな光景、今まで一度も見たことがない。夢のような光景だ。
昔見た映画のワンシーンを思い出してしまった。
タルコフスキー監督の「鏡」の冒頭のシーン。女が一人、草原を見下ろしている。すると遠くから一人の男が歩いてくる。カメラはしばらくその男が歩いてくるのをただじっと写している。その時、風の音がする。はるか彼方から、まるで波のように、風が草原を渡る。男を追いこし、風は女の方まで吹いてくる。心に残るシーンだ。
そんな映画のワンシーンのような光景。
結局、お目当ての廃屋は見つからなかったけど、なかなか貴重な体験をさせてもらった。
ここは本当に素晴らしい場所だった。
すっかり散歩気分で車に戻ると、あれ、反対側にも道があるではないか。
さっきは気づかなかったが、農道を挟んで少し向こうに、今歩いた道とは反対方向に行く道がある。
ついでに向こうの方も少し散歩してみる?
さっきの素晴らしい体験のお蔭で気分はほとんどピクニックである。
その道の少し先に、うっそうと繁った森が見える。
よし、あそこまで行ってみよう。
農道から50mくらい歩いただろうか、うっそうと繁った森に近づくと・・・
あれれ、森の中になんか建物が見えないか?
「あれ、廃屋じゃない?」
「あ、ほんとだ!!」
たしかに、廃屋が森の奥に建っている。しかも二棟並んで。
僕たちは遂に目指す土地に辿り着いたのだ。
しかし、この廃屋は農道からは全然見えないはずですよ。
だって、ほとんど森にのみ込まれちゃってるんだもん。
ところで、どうやって廃屋に近づこうか?
薮化したその森に入っていくのはかなり大変そうだぞ。]]>
そもそもの始まり
http://fujiyama67.exblog.jp/532168/
2006-01-28T03:23:52+09:00
2006-02-01T01:58:43+09:00
2006-01-28T03:23:52+09:00
fujiyama67
家づくりの記録
かねてより噂に聞いていたそのログハウスは、富士山の西麓、朝霧高原の広大な牧草地のど真ん中に、まるでおとぎ話の挿し絵のような風情でポツンと建っていた。
実際には、サイズ、クオリティーともに日本規格を大きく逸脱した、それはそれは見事な巨大ログハウスなのだが、周りのロケーションがこれまた日本規格を大きく逸脱した「見渡す限りの大草原」なので、この雄大な景色の中では流石の巨大ログハウスも「ポツン」と控えめに建っているような可愛らしさに見えてしまう。
目の前に聳える富士山、遠くに霞む森、その後ろをぐるりと囲む山々、そして、どこまでも広がる牧草地。 自然の景色以外、自分達の視界にはな〜んにも見えない。
ログハウスももちろん素晴らしかったが、それよりも「こんな雄大な景色の中に暮らしている人たちが現実にいる」ということの方に僕たちはすっかりヤラれてしまった。
これは、まさに僕たちが夢にまで見た暮らしではないか!!
どうすればこんな場所に住めるのですか?
Rさんが言うには、富士山の周りでもなかなかこういう「見渡す限りの大草原」に家を建てるのは難しいそうだ。
そもそも、富士山周辺は国定公園のような扱いなので、基本的には家を建てることが出来ない。環境の保護か、もしくは景観の保護か、無秩序に開発の手が入ることを規制しているのだろう。
たまに無許可で家を建ててしまう豪傑もいるにはいるが、そんな人達はやはりたまに検挙されたりしている。
新しく家を建てることが出来るのは分譲別荘地の中か、もしくは昔から人が住んでいる集落の中に限られる。
ただ、ヨソモノが何のツテもなく昔からの集落に入るのはそれなりに勇気がいることだろうし、それに集落には当然沢山の人が住んでいるので、いかに富士山の近くと言えども大自然の中の暮らしと言う訳にはいかない。
自然の中での暮らしを夢見る僕たちのようなヨソモノが住めるのは、やはり別荘地という選択になってしまう。
けれど、現実には別荘地にも家が建ち並び、郊外の住宅街とさほど代わり映えのしないロケーションになってしまうようだ。
もちろん都心に比べればかなり広い庭を持つことも可能だろうが、それでも見渡す限りの大草原のような良好なロケーションを見つけることは難しい。
Rさんがログハウスを建てた場所はもともと牧場だったところで、幸運にも廃屋が建っていたそうだ。
後で知ったことだが、既に建物等が建っている土地は「既存宅地」として例外的に家を建てることが認められている。
だから、もし仮にあの場所に廃屋が建っていなければ、Rさんもあの素晴らしいロケーションにログハウスを建てることが出来なかったのかもしれない。
「自分達はこの場所に出会えて本当にラッキーだった」Rさんは笑顔で言った。
羨ましい限りである。
その夜はN家に泊めてもらったのだが、話の中心は今日見てきた素晴らしいロケーションについてだった。
どうすればあんな素晴らしい環境に住めるのだろう?
他にもあんな場所があるのだろうか?
今まで大自然の中での暮らしなんて所詮夢物語だと思っていたが、現実にそんな環境で暮らしている人を知っしまった今となっては「もしかしたら自分達にも可能なんじゃないか?」なんて気にもなってくる。
「ネットで調べてみようか?」 Nが言い出した。
え〜、無理無理、絶対に見つからないって。
Rさんだって苦労して土地探したって言ってたじゃない。
そんなんで簡単に見つかったらみんな住んでるよ。
否定的な僕の意見など全く聞く気もないNはどんどんキーワードを入力している。
「え〜と、朝霧高原周辺でしょ、それから売地と・・・」
無理無理と言いながら実は僕も内心ちょっと期待している。
「結構あるよ〜」
え、なになに、そんな簡単に見つかっちゃうの?
あらら、結構沢山見つかるじゃない。
でも、どうせロクでもない土地ばかりでしょ。
ほらよくあるじゃないですか、原野商法。
家を建てれないような土地を宅地だって騙して売っちゃうヤツ。
あんなのに引っ掛かったら最悪だよね。
売る方も売る方だけど、買う方も買う方よ。
ヤダねー、そんなの見つけて喜んでるよ、この人は。
どこまでもネガティブシンキングな僕である。
「あ、ここイイじゃん。ここ知ってるよ、スゲーイイとこだよ。草原のど真ん中だよ。お、スゲー500坪だってよ。既存宅地だってよ。家建てれるじゃん。お、廃屋付きだってよ。廃屋に住めるじゃん。イイじゃん、イイじゃん。ここに住めばイイじゃん。ここ買っちゃえばイイじゃん。イイじゃん、イイじゃん。」
イイじゃん、イイじゃんて言われてもね〜。
そんなに簡単に見つかるとは思っていなかったので、僕にも心の準備ってモノが・・・
おいおい、その土地、ホントに大丈夫なのか?
ていうか、買えばイイじゃんって、買えないよ。
たしかに今日Rさんの暮らしっぷりを見て「もしかしたら自分達にも可能かな?」って、そりゃ少しは心も動いたけどさ、でも考えてみたら土地買うお金なんてどこにあるのさ。
まあ、大自然の中での暮らしなんてのは所詮夢物語ですよ、夢。
Rさんのように既に地位も名声も得た人達だけが叶えられる夢ですよ。
ありがとうRさん、ありがとうN、 良い夢を見させて頂きました。
じゃ、今日はこん辺でお開きってことで・・・
と、思ったのは僕だけのようで、Nはもとより、ウチの妻までがキャーキャー興奮している。
「イイじゃん、イイじゃん、明日見に行ってみようよ。」
「うん、そうしよう、そうしよう。」
え、マジですか?見に行っちゃうんですか?
そうしよう、そうしようって、あなたまで何言ってるんですか?
見に行ってどうする気ですか?言っときますが、行っても無駄ですよ。
だって、そんな土地買うお金、ウチには全然ないですよー。
「じゃ、明日の朝、娘を保育園に送った帰りに、みんなで見に行ってみよう。」
ちっともノリ気じゃない僕のことなど全く気にしていないNは、さっさと明日の予定を決めてしまった。こういう時のNは本当に決断が早く、しかもかなり強引である。
ついでにウチの妻も脳天気なタチなので、すっかり盛り上がってる。
みんなが盛り上がってるのに自分一人盛上がれないってのは、これはこれでちょっと悔しい。
じゃ、みなさんがそんなに盛り上がっているのなら、一応、見に行くだけは行ってみましょうか。あ、でも本当に見に行くだけね・・・
こうして、翌朝、Nの娘を保育園に送り届けた後、僕たちはその土地を見に行くことにしたのである。]]>
自然の中で暮らしてみたい
http://fujiyama67.exblog.jp/388698/
2006-01-16T02:27:08+09:00
2006-01-30T16:14:21+09:00
2006-01-16T02:27:08+09:00
fujiyama67
家づくりの記録
例えば海の見える断崖絶壁の上や、山深い森の中や、大草原の片隅などなど。
つまり、自分と自然以外にはな〜んにもないところ。
そんな場所で暮らせたら、きっと毎日がロマンチックなことだろう。
以前からそんな夢のような事をぼんやりと考えていた。
でも、それは所詮夢話し。
夢のまた夢、くらいに思っていた。
ところが昨年、そんな夢のような事が突然現実の事となって動きだしたのである。
場所は富士山の西麓に広がる朝霧高原の片隅。
このブログは標高700メートルの高原の片隅に我家が建つまでの記録です。
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